勉強会の内容



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第1回 中海・本庄工区月例勉強会

本庄工区と中海の汽水性水草と海藻の分布

国井秀伸(島根大学汽水域研究センター助教授)

日時:6月20日木曜日 午後6時より
場所:汽水域研究センター3階会議室




水草の多くは維管束の発達した水生植物であり、このうち海に生育するものは海草と呼ばれる。中海の岩礁でよく見られるアオサやオゴノリなどの植物は維管束が未発達な分類群であり、海草と区別されて海藻と呼ばれる。音読みではどちらも「かいそう」となり紛らわしいので、海草を「うみくさ」と呼ぶこともある。

汽水に見られる水草の数は少なく、日本全国で7種ほどが知られているに過ぎない。このうち2種は北海道にのみ産するので、おおよそ5種が本州で見られることになる。宍道湖・中海水系には、これら汽水産の水草のうち4種(カワツルモ、イトクズモ、リュウノヒゲモ、コアマモ)が見られ、まさに汽水産の水草を研究する絶好の場所と言える。これら4種のうちカワツルモとイトクズモは日本版レッドデータブックで危急種とされている。前者は本庄工区を囲む承水路に見られ、後者は宍道湖と日本海を結ぶ佐陀川および米子市の水鳥公園内の池での生育が確認されている。ちなみに、リュウノヒゲモは水鳥公園内の池に多く、またコアマモは大橋川の全域と中海の所々に生育している。

宍道湖・中海では海藻の分布に関する調査がこれまでに何度か行われている。秋山(1977)によれば塩分の低下に従って大型の海産種から広塩性種、汽水種そして淡水藻へと植生が変化してゆくことが報告されている。この分布パターンは現在でも変わりはない。最近の中海での海藻調査は、底質改善を目的とした事業の基礎資料を得るため、昨年6月から島根県水産試験場によって本庄工区を除く水域で行われた。確認された種は紅藻類のオゴノリ、カタノリ、褐藻類のウミトラノオ、フクロフノリ、緑藻類のアナアオサ、ミルなど16種(コアマモを含む)であった。興味深いことは、オゴノリのように人間が直接利用することのないウミトラノオ表面に多くの生物が付着していることである(藻体100g(湿重)当たり節足動物のワレカラ類が16,215個体、ヨコエビ類が137個体)。これら付着生物は食物網を通していずれ高次の消費者の餌となり、水域の生産性を高めるとともに、有機物や窒素、リンの系外排除に間接的に寄与すると考えられる。本庄工区にはこのウミトラノオが多く生育していることが観察されている。

これら海藻や海草以外にも、魚介類や鳥類にとって本庄工区が貴重な場を提供していると言われている。干陸の是非を問う前に、水質の調査だけでなく、生物相や生態系に関する調査をおこなうべきと考える。

 
 

カワツルモ Ruppia maritima L. ヒルムシロ科
汽水にしかはえられない水草で絶滅危急種.中海・宍道湖汽水域では弁慶島や本庄港周辺の中海の承水路などで確認されている.
右の写真は本庄工区内の弁慶島での生育状況(1996年9月,源撮影).

 

リュウノヒゲモ Potamogeton pectinatus L. ヒルムシロ科
汽水にしかはえられない水草.中海・宍道湖汽水域では米子水鳥公園でみられる.写真は広島県産.

 

イトクズモ Zannichellia palustris L. イトクズモ科
汽水にしかはえられない水草で絶滅危急種.中海・宍道湖汽水域では米子水鳥公園と佐陀川で発見された.写真は岡山県産.

 

コアマモ Zostera japonica L. アマモ科
海にはえるが汽水域にまで分布する.中海・宍道湖汽水域では大橋川と中海に分布する.大橋川では特に多いが,これがはえているところにはシジミもたくさん住んでいる.








第2回 中海・本庄工区月例勉強会

中海と本庄工区の水質の現状

清家 泰 (島根大学総合理工学部助教授)

日時:7月5日金曜日 午後6時より
場所:総合理工学部1階11番教室




 本庄工区内の水質に関する報告例はほとんどなく、現在の水質の状態がどうであるのかについて全く知られていないのが現状といえる。我々(物質科学科環境分析化学研究室)も、中海の本庄工区以外の水域については約20年にわたる継続的な調査データを蓄積しているのに対し、本庄工区内については僅か4年間足らず(1992年8月〜1996年6月)のデータを持っているに過ぎない。

 本庄工区は、1978年に大海崎堤防が、1981年に森山堤防がそれぞれ建設されて閉鎖的水域となった。その後、工区内の湖水の交換は西部承水路に設けられた2ヶ所の小さな出入口のみで行われることとなり、他水域に比べ停滞性の強い水域となったわけである。そのため閉鎖水域にありがちな水質汚濁の進行が懸念されてきた。閉鎖水域となって約15年経過したわけであるが、ここ数年のデータを解析してみると、工区内の湖水の透明度は、意外にも水質の最も良好な境水道に匹敵するくらい高く、しかも3mを越えるような高い透明度の観察回数(7回)は境水道(4回)を上回った。また、高い透明度の観察時には全リン、全窒素、COD濃度の何れも低いレベルにあった。

 以上のような事実を踏まえ、限られたデータからではあるが、ここで本庄工区の透明度が高い理由について考えてみたい。まず第一に、3mを越えるような透明度が観察されたときには塩分が比較的高いことから、@栄養塩の少ない新鮮な海水の流入による寄与が挙げられる。次に、中海湖心はもとより境水道よりも高い透明度がしばしば観察されることから、A湖水が遡上する際に承水路がフィルターの役目を果たし寄与している可能性も考えられる。さらに、本庄工区内は、人的影響の指標である大腸菌が検出すらされないことが多く、最も良好な水域であったことから、B周囲から本水域への直接的な栄養塩等の流入負荷は小さいものと考えられ、このことが高い透明度を持つ大きな要因であると推察される。

 しかし、ここ4年間で赤潮が2度(1994年3月と1995年3月)発生し、特に1995年3月(Chl-a,175μg/l)には大規模な赤潮となり本庄工区内全域に広がった。その2度の赤潮における共通点は、何れも3月に発生したこと、塩分の低下後に発生したことが挙げられる。その赤潮発生メカニズムの詳細は明らかでないが、この本庄工区は、条件が整えば赤潮が発生しやすいという閉鎖水域であるがゆえの宿命を負っているものと考えられる。

 また興味深いことに、本庄工区の塩分変動は、宍道湖に似た変動パターンを示し、中海湖心に代表される中海水域の塩分変動に対して遅れが生じることが認められた。このことは、新鮮な海水(貧栄養)が一度本庄工区内に入るとしばらくその状態が保たれることを意味し、高い透明度の観察回数が境水道を上回った一要因と考えられる。しかしながら、逆に栄養塩に富んだ湖水が流入した場合にもその状態が持続されやすいことをも示唆しており、赤潮を誘発する可能性もはらんでいる。しかし、今のところ、周囲からの直接的な栄養塩負荷が小さいために良好な水質を維持できているものと推察される。








第3回中海・本庄工区月例勉強会

大根島・弓ヶ浜の地下水問題

徳岡隆夫 (島根大学総合理工学部教授)

日時:1996年7月12日金曜日
場所:島根大学総合理工学部



淡水レンズとは:


 透明なビニール袋に淡水をつめて海に入れると,淡水は海水に比べてほんの少し比重が小さいために水面に浮かぶ.島の地下では水の拡散速度が遅いので,ビニール袋がなくても交じり合わずに,淡水が海水に浮いたかたちで安定する.周囲を海で囲まれた島では淡水の部分が凸レンズのような形になるので「淡水レンズ」と呼ばれる.なお,この淡水は島に降った雨がもとになっている.水を使いすぎたり干ばつのときには風船がしぼむように薄くなる.また,いったん淡水レンズが壊れると地下で再たび形成されるまでには長い時間がかかると考えられている.この淡水レンズの大きさや形を数式モデルであらわしたものをガイベン・ヘルツベルグの法則と呼び,海では海面から水頭(淡水の地下水の盛り上がった表面)までの高さの40倍の深さのところに淡水と海水の境界があるとされている.
 大根島の地下の淡水レンズの模式図が図1である.これまでの報告によると,いちばん深いところでは中海の水面下の20mまで淡水が分布しているようである.中海の塩水に淡水が浮いている構造になっているため,島の周辺の水田が分布する地域での淡水の地下水位は雨の多少に関わらず,淡水の浮力によって中海の水面よりわずかに高い位置で安定していると考えられる(淡水レンズの厚さは変わるが).実際に「非常に強い干ばつの年にも島の周囲では湧水が得られた」との地元の方の話があった.

図1.大根島の淡水レンズの模式図





干拓と淡水レンズ:


 本庄工区が干拓されると,大根島の地下水には,水面の高い中海から水面下5〜6mとなる本庄工区に向かって流れる方向の水圧がかかる.地下水が本庄工区に流れ出すことによる地下水位の低下とともに,水圧によって地下水が本庄工区側に移動するため,大根島の地下にあった淡水が塩水に置き換えられることが危惧されている.





大根島の地下の構造:


 大根島は約25万年前の氷河期に陸上に噴出した成層火山で,最後の氷河時代が終わった約1万年前に始まる地球の温暖化による海水面の上昇によって水没し,現在は頂上だけが水面に出ているものである(図1).溶岩は粘り気が小さな玄武岩質のものであったため山の傾斜は緩やかで(約1度程度),中海の水中にはこの火山の裾野が広く拡がっている.基盤となる新第三紀の泥岩までは水面から60mある.水面下ではこの火山体は沖積泥層に覆われている.
 このような比較的新しい火山であるため,大根島の地下には非常に水を通しやすい溶岩の層が存在するであろうことが予測された.これが現実に分布していることがボーリング調査でもわかっている(図2).地下水の通しやすさはゆるい砂礫層なみである.
 なお,大根島には溶岩洞窟が見られるが,日本では富士山に次いで2番目に大きなものである.





なぜ設計時に問題にならなかったのか:


 大根島が第四紀の火山で水を通しやすい溶岩でできていることは,島根大学理学部地質学教室のメンバーを中心にした研究により,昭和50年に明らかにされた.島根半島部に分布する新第三紀松江層の玄武岩と同じ時代のものとみなされていた.従って,干拓工事の設計の当時には,水を通しにくい岩石と考えられて堤防として使用する案が採用された可能性がある.





淡水レンズの保全方法:


 大根島の地下の淡水レンズを確保するには,島の本庄工区側の地下にダムの堰堤のようなものを作り,地下水が本庄工区側に流れ出ないようにする必要がある.このような地下ダムの技術はすでに実用化されており,具体的には約1.5mおきに列状にボーリングを行い,セメントや凝固物質などを流し込んで固める.このような列を3列程度つくって本庄工区側を取り囲み,地下水の流れを遮断する.この経費を見積もると120億円程度となり,セメントの注入作業だけをとっても昼夜兼行で少なくとも2年はかかる.ただし,将来水漏れが起きる可能性があり,また凝固物質を使った場合には地下水汚染の可能性がある.





弓浜半島の地下水:


 弓浜半島は,昭和の始めころに日本で始めて淡水レンズの存在が確認された場所として有名である.本庄工区は,洪水のときには周囲の中海といっしょに水面が上昇し,中海の水位上昇を押さえる役割をしているが,干陸後はこの分量の水が中海の他の部分に集中するため,洪水のときの中海の水位が現在よりも上昇すると予測される.もともと砂州である弓浜半島は米川の導水により,地下水位を高く保つことによって畑作を可能にしている.中海よりの江戸時代以降にできた耕作地は1メートル以下の高さにあり,地下水位も数十センチのところにあるため,わずかな中海の水位の上昇が耕作地の地下水位の上昇をもたらし,排水不良によって作物に障害が起きるであろうことが懸念されている.


図2.大根島周辺の3個所(BP1,BP2,BP3)でのボーリング結果.地下水が通りやすい層を矢印で示す.

(代記:小池)








第4回 中海・本庄工区月例勉強会

地域づくりからみた中海干拓問題

富野 暉一郎 (島根大学法文学部教授)

日時: 9月20日(金)
場所: 島根大学総合理工学部(理学部)1号館11講義室






1. 島根県の現状

 島根県はある意味では豊かだが,雇用の機会も必要である(賃金のレベルは子どもを大学にやれるくらい).
 現在は公共事業の土木工事で地元に落ちるお金に依存している人も多い.しかし国の財政もひっぱくしてきており,将来的には公共事業は先細りになると思われる.
 成熟社会での,地方のいきかた(産業構造)は未だ確立されておらず,新しい発想が必要である.島根県はこれについての政策先進県を目指すことができると思うので,ひとつの行き方を提案してみたい.





2. 世界の状況

 国際的な経済の自由化により,国内から海外への企業の流出(中小企業も)がおきている.私も製造業をやっていたことがあるが,企業の側から見ると東京から島根県に進出するよりも,むしろアジアに進出するだろう.
 朝鮮半島から中国,ロシア極東地域までの日本海を囲むアジアはさらなる経済発展の可能性を持っており,環日本海地域の重要性が増している.そのため,日本海側を通る環日本海の高速道路の建設が必要である.また,国を介さない地域同士の国際的な連携も可能であろう.




3. これからの島根県を考える

3.1 公共事業について

 日本海側の地域間の役割分担を行なうにも,日本海側を通る高速道路の建設が必要である.また,地域の人口移動をおさえるために,中山間地に住んでいても,そこから企業に1時間以内で通勤できるような道路が現在以上に必要である.本庄工区の干拓事業にかけるお金を,むしろ道路建設にまわすべきだ.
 また,公共住宅も都市ではなくて通勤1時間圏内の山村などに作ると良いかもしれない.



3.2 「地域づくり」の観点からみたこれからの産業の条件

「地域づくり」の観点からみたこれからの産業が備えるべき条件は,
(1)高度な技術をもたない普通の人ができる仕事でなければならない.
(2)企業の新陳代謝が速すぎる分野も雇用が安定しないため,地域作りにはあまり貢献しない(ソフトウェア産業など).
(3)臨海部などに向かった人口移動をもたらす産業は,地域づくりの観点から望ましくない.20〜300人程度の小規模な企業が中山間地を含めた地域内に分散した状態が望ましい.
(4)先端的な産業では世界的な開発状況についての情報が非常に重要であるが,インターネットがあっても,やはり島根県では不利である.先端の情報がそれほど必要ないものが望ましい.
などである.地域の中での,ほどほどの賃金(子どもを大学にやれる程度)での安定した雇用が重要であり,先端産業に頼ることはできない.




3.3 起業家的な人材の確保方法の提案(ベンチャー以前)

 大企業の中には非常に優秀な人材が能力を発揮できないままになっているが,これらの人たちがいきなりベンチャー企業として出発するのは無理である.3年間の生活資金と研究・開発資金を与えて製品の開発を行なった後,市町村に配分してそれぞれの地域で企業として独立させることを提案する.ベンチャー企業の育成事業に渡すのはこの後である.資金を与えるための審査は大学教授などではなくて,自分自身も本当にアクティブな人が行なう.
 また,企業間のネットワークは非常に重要であるが,島根県では砂漠の中のシャボテンのように企業が孤立している.インターネットだけでなく,実際に顔をあわせて話をする機会も大切である.毎月1回くらい集合して話をする機会を設けると効果的かもしれない.




3.4 Quality of Life (QOL) 産業の可能性

 日本は自動車や電化製品がどんどん家庭に入り込む高度経済成長期の状態から,それらが行き渡ってしまって人口構成も高齢化した成熟社会に入っている.そのような成熟した社会には高度成長期と違った特有の需要が存在する.そのような需要の一つがインテリアや健康・介護機器,環境関係のことなどを扱うQuality of Life (QOL)産業である.
 このような産業は,日本やアジア地域ではまだ十分発達していない.東アジアや東南アジアには高度成長期の国があり,将来は成熟社会に移行すると期待される.現在の日本とあわせると,将来にわたって安定的な需要が期待される.
 実際に,農業国から小規模企業でのQOL産業を発展させることに成功した例は北欧諸国にみられる.現在の島根県にもいくつか優秀な企業があるので,地域の中にこのような企業が散在した状態を作れば,人口の移動を起こすことなしに安定した雇用が確保できるのではないか.





4 本庄工区と島根県の将来

 本庄工区の干拓を推進する人たちも,島根県の将来に対する危機感を持っている.しかし,干拓を行なったり,公共事業に依存しているだけでは問題の解決にならない.将来の島根についての県民のコンセンサスが必要である.
 日本でいちばん広大な汽水域はこの地域の特徴であり,本庄工区は汽水域としていかしてゆくべきである.





代記: 小池

(詳しい内容は「山陰の経済」11月号に掲載されます.出版社の許可が得られれば,リンクして全文が読めるようにしようとおもいます.)








第5回 中海・本庄工区月例勉強会

遺跡からみた中海・宍道湖

竹広 文明(島根大学汽水域研究センター助手)

日時: 10月18日
場所: 島根大学総合理工学部(理学部)1号館11講義室





 中海・宍道湖は、後氷期の環境変化のなかで形成されてきた。約6,000年前の縄文海進の前後から、海面はほぼ現在の状態に近づいてきたが、この時期から中海・宍道湖の沿岸において人々の活動が活発になったのか、多くの遺跡が残されている。考古学的には、この時期は、縄文時代前期にあたるが、縄文文化が一応の到達点に達し、定住的なある程度安定した社会が形成された頃でもある。縄文時代前期以降、中海・宍道湖周辺地域は、遺跡の集中地域となっており、この地域が、当地方において拠点の一つとなっていくことを示しているようである。



第1図 縄文時代早,前期における中海・宍道湖周辺の漁労
1島根県大社町菱根遺跡  2島根県鹿島町佐太講武貝塚  3松江市西川津遺跡  4松江市島根大学構内遺跡橋縄手地区  5米子市目久美遺跡  6米子市陰田遺跡第9地点
a−dヤス    e 丸木舟
(出典: a,b赤澤・竹広編1994; c,d内田編1987; e島根大学埋蔵文化財調査研究センター編1995)



第2図 縄文時代後,晩期における中海・宍道湖周辺の漁労
3松江市西川津遺跡  7島根県美保関町崎ヶ鼻洞窟遺跡  8島根県美保関町権現山洞窟遺跡  9島根県美保関町権現山洞窟遺跡  10米子市長砂第1遺跡  11出雲市矢野遺跡  12出雲市多聞院遺跡
g−i,k,r釣針  j,p,qヤス  fアワビオコシ  l,m魚網錘  oタモ枠  n碇石
(出典: f−j,l−n内田編1989; k,o内田編1988; p,q佐々木・小林1937; r山本1967)




 では、中海・宍道湖沿岸に生活したわれわれの祖先は、中海・宍道湖をどう活用したのであろうか。中海・宍道湖は、縄文海進により形成された古中海湾・古宍道湾が変遷してできたものと考えられているが、当地域の遺跡に残された情報から、私は次の点を指摘できると考える。

1. 中海・宍道湖の漁場としての利用
2. 中海・宍道湖の漁労基地(漁港)としての利用

 「中海・宍道湖の漁場としての利用」は、縄文時代前期の松江市西川津遺跡、縄文時代後期の美保関町崎ヶ鼻洞窟遺跡などに残された漁労具、食べ捨てられた魚骨が物 語ってくれる。当地域では、縄文時代の日常的な漁労具は、内湾で使う、ヤスや網であり、遺跡からは、ヤスの先端につけた骨角製の刺突具や網につけた石製の錘が出土 する。また、捕獲された魚は、中海・宍道湖に流れこむ河川の魚のほか、スズキ、クロダイなど海水魚でも中海、宍道湖にまで入り込んでくる魚類に中心がある。なお、 ヤマトシジミの集中的な採取は、鹿島町佐太講武貝塚が示すように、縄文時代前期には行われている。中海・宍道湖での漁労は、縄文時代のこの地域での漁労の中心を占 めていると考えられる。これは、中海・宍道湖には、多様な魚種が生息しており、豊富な水産資源に恵まれていたことが背景となっているのであろう。

 「中海・宍道湖の魚労基地としての利用」は、そこを漁場としている以上、当然のことではあるが、こうした内湾あるいは潟湖での漁労のほかに、当地域でも、外洋の 大型魚の漁労へも進出していく方向性が、縄文時代のなかで窺える。縄文時代後期の美保関町小浜洞窟遺跡からは、全長5.7cmばかりの鹿角製の大型釣針が出土している 。捕獲の対象となった魚種は、まだ十分に確かめられていないが、マグロの出土例もある。こうした方向性は弥生時代で明確になり、松江市西川津遺跡では、縄文時代以 降、朝鮮海峡地域で外洋魚の捕獲に使われていた大型の釣針を採用しており、また、その未成品も出土しており、西川津で実際に製作していることも分かる。中海・宍道 湖での漁労に中心をおきながら、そこを港とし、外洋魚の捕獲もおこないはじめたことが窺える。

 縄文時代を中心に、その後の農耕社会である弥生時代まで射程にいれ、中海・宍道湖の活用の歴史的経過をみると、以上のように、漁場としての利用と漁労基地として の利用の多面的な活用がおこなわれていることを示している。こうした伝統が今日の当地域における漁業の背景の一つになっているのは確かであろう。問題を漁労の点だ けに絞ったが、縄文時代前期以降、この地域の石器の材料に隠岐島産の黒曜石が多用されることからすると、水運の問題にも視点を広げることもできる。いずれにせよ、 縄文時代以降、中海・宍道湖を舞台とし、地の利を生かした多面的な利用方法が開拓されてきたことを遺跡は物語っているようである。




第3図 松江市西川津遺跡でみた縄文時代,弥生時代における漁労具の変遷(930KB)
縄文時代(前期)
  河川内湾漁労: ヤス,魚網錘
弥生時代
  河川内湾漁労: ヤス,魚網錘,タモ枠,釣針
  外洋漁労:   結合式釣針,アワビオコシ
(漁労具写真は内田編1989,内田編1988による)





(本文、図面を引用の際は、竹広にご連絡下さい。内線2834)








第6回 中海・本庄工区月例勉強会

宍道湖・中海水系の藻類

大谷 修司 (島根大学教育学部助教授)

日時: 10月25日(金)
場所: 島根大学総合理工学部(理学部)1号館11講義室


(ここには前書き部分を掲載しています.全文はこちらをご覧ください)

 
 本稿は宍道湖・中海水系の藻類(宍道湖・中海の藻類研究会出版,高浜印刷, 1996, 129 pp.)の一部をインターネット用に編集し直したものである.

 宍道湖・中海は,淡水(ま水)と海水がまざる湖で,そのような湖を汽水湖という. 全国的に見ても宍道湖,中海のように淡水と海水のまざる広い汽水域は少なく,宍道湖・中海をあわせると全国1の広さである.両湖ともに水深は浅く,河川からの自然な栄養の供給に加え,陸域からの人間活動に基づく有機物や栄養塩などの流入が多く富栄養化している.そのため,宍道湖ではアオコが,中海では赤潮が発生することがあるが,湖の生産性は高く,シジミをはじめとする魚介類は重要な資源となっている(図1).冬には何万羽の水鳥が飛来し,餌を捕ったり,羽を休め,西日本一の越冬地となっている).

 この水系は,淡水の斐伊川に始まり,塩分が薄い宍道湖と塩分が濃い中海があり,最後は海水の日本海で終わる.そしてたえず,斐伊川から淡水が,日本海からは境水道を通じて海水が流入し両湖の塩分濃度の他,栄養塩濃度などに影響を与えている. 生物の分布は温度や栄養塩濃度など様々な要因によって決まるが,塩分は生物の分布を決める重要な環境要因の一つである.それぞれの種類に適した塩分濃度範囲は決まっており,淡水に住む生物は通常海水ではすめず,逆に海水にすむ生物は淡水にすめない.宍道湖と中海は約8 kmの大橋川によってつながっており,宍道湖の塩分は海水の約5-10 %,中海は海水の約20-50 %であり,塩分には段階的な落差がある(図2).旱ばつ時には,塩分は宍道湖は海水の25%,中海は海水の80%程度まで上昇することがある.そのため生物の種類が宍道湖と中海では大きく異なっている.宍道湖ではシジミがたくさんとれるが,中海ではほとんどとれないことを思い出して頂きたい. 藻類に関しても同様で,現在では,塩分が低い宍道湖には流入河川起源と考えられる緑藻類と藍藻類が多く,中海には比較的低塩分濃度に耐性のある海産の珪藻類と赤潮の原因となる渦鞭毛藻類のプロロケントルム(Prorocentrum minimum)が優占することが多い(図3).

 藻類に関しては,1960年代以前は断片的な調査が行われたにすぎなかったが,1970年頃より多くの研究者によって植物プランクトンの種類組成の定期的な調査が水質調査と共に行われ,宍道湖,中海ともに貴重な資料が蓄積されてきている,この報告では 過去の文献から宍道湖・中海の藻類相の変遷を調べ,その長期的な変動について考察を加える.

(ここには前書き部分を掲載しています.全文はこちらをご覧ください)










第7回 中海・本庄工区月例勉強会

中海周辺での水鳥の生活

神谷 要 (米子水鳥公園)

日時: 11月8日(金)
場所: 島根大学総合理工学部(理学部)1号館11講義室

米子水鳥公園のホームページもあります.



水鳥公園でのスナップ写真
左:カルガモの母子.お父さんは遊びに行ってしまっている.
右:珍しいサカツラガン.後ろで足をあげているのはコハクチョウ.






要旨:

 日本最大の汽水域宍道湖中海では、国の天然記念物のマガン、コクガン、オジロワシをはじめたくさんの鳥類が飛来していることが日本や鳥の会島根県支部・鳥取県支部の調査によって確認されています。今後、本庄工区の干拓が、どのような影響を水鳥に与えるかを水鳥の生態や過去の干拓より考えます。




水鳥は世界を巡る

 鳥の特徴は、その羽根による移動能力の大きさです。鳥の移動力は、大変大きなもので、シベリア北部のツンドラ地帯で繁殖しオースラリアで越冬しています。このために、日本とオーストラリとの間では日豪渡り鳥条約(昭和58年)と言う保護に関する条約が結ばれていいるほどです。これだけ大きな移動を一年という短いサイクルでおこなっている陸上生物は、他に考えられません。
 これらの鳥達が生きていくためには、繁殖地(夏期)、冬を過ごす越冬地、またそれをつなぐ移動のための環境を国際的に保全していく必要があります。 


セッカという鳥に記号を書いたバンドをつける.このようにすると鳥の移動範囲もわかる.体が大きくて遠くまで渡りをするコハクチョウは人工衛星で追跡したりもする.




採餌法のいろいろ

 水鳥の採餌法には、潜って餌を取るもの・穴に嘴を入れるもの・水をこしとるものなど様々な採餌法があり、水鳥の嘴の形からもその餌を類推することが出来ます。このように水鳥達は、プランクトンから植物、魚、水生動物まで様々なものを食べるように特殊化しているため、水鳥には様々な水辺環境とそこに住む多様な生き物が必要になってきます。特に、生産性が高く、非潜水性の水鳥にとって餌の取りやすい、水際から水深1mぐらいまでの水面の確保が重要な課題になります。




餌による棲み分け(?)(三瓶自然館・佐藤仁志)私信

 中海と宍道湖で鳥相の違いとして大きく注目されるのは、貝を食べるキンクロハジロとホシハジロと言う潜水性のカモの分布の違いです(日本野鳥の会島根県支部調べより)。宍道湖と中海では、塩分濃度のちがいにより生息する貝の優占種が異なっており、宍道湖ではシジミ、中海では、ややシジミより形の大きいホトトギスガイです。つまり、キンクロハジロよりやや大型のホシハジロがやや大型の貝を補食するように中海に集まり、小型のキンクロハジロは、シジミを補食しに宍道湖に集まっているのではないか?と言うものです。ただどちらの鳥も、両方の貝を食べます。




狩猟区の本庄工区と鳥獣保護区の中海・宍道湖

 宍道湖は、県設特別鳥獣保護区、中海は国設鳥獣保護区に指定されています。これは、指定後完成した中海の干拓地もこの指定に含まれています。ただ、本庄工区だけがこの指定からはずされており、猟期に当たる11月15日から翌年の2月15日には、カモをはじめとする狩猟対象鳥がハンティングできます。このため現在の本庄工区の鳥相は、水鳥がもっと利用できる余地がのこっているとおもわれます。




ネグラの水面の必要性

 鳥にとつて食料と同時に必要となってくるのが、ネグラです。鳥は繁殖期以外は、集団でネグラで寝ています。セキレイは橋の下、ツバメにおいては広大なヨシ帯、カモ類にとっては広い水面で集まって寝ています。寝る時間は、昼であったり、夜であったりしますが、環境がその鳥のネグラに適さなくなったり、危険が多くなったところは放棄します。
 ガンカモ類の水鳥は、広くて浅い水面をネグラとしており、本庄工区が鳥獣保護区になればネグラとして利用するものと思います。


今はコハクチョウがいなくなってしまった島根県東出雲町の白鳥海岸.かつてはここをエサ場とし干拓途中の揖屋工区の水面をネグラ(夜寝る場所)としていた.コハクチョウを観察するための公園として整備されたが,揖屋工区の工事が完成してネグラが消失したことによりエサ場からも姿を消した.





干拓開始早々、水鳥のパラダイス。その後は、・・・(他の中海干拓地より)

 干拓工事は、いきなり水鳥の生息域を狭めるだけの意味をもっものではありません。他の干拓地の例では、干拓工事開始によって出来る浅水域(1m以下)の水鳥の採餌可能な広大な水面と干潟ができ餌場となるほか、水が引いた湿地には湿性植物が生え水鳥達の繁殖地になります。
 中海干拓事業は、本庄工区以外にも揖屋工区、島田工区、彦名工区等の先発工区があります。現在中海は、90%以上が人工護岸となり水鳥達が安心して暮らせる浅い水面が少なくなったので、干拓途中に出来る水面は大変貴重なものとなりました。特に、コハクチョウは、この水面をネグラとして、干拓工事が始まるとその新たな水面を転々としていきました。しかし干拓完成後は、近代的乾田と人工護岸になるために鳥相は貧弱になります。

中海周辺のコハクチョウの飛来数.はじめは揖屋工区に多かったが,干拓完了とともに飛来数が減少した.その後は彦名工区(現在の米子水鳥公園)に飛来するコハクチョウが増えた.時代を追ってみるとコハクチョウの生活場所は,松江市嫁ヶ島 →揖屋工区(ネグラ)と白鳥海岸(エサ場) →米子市水鳥公園(ネグラ)と安来市能義平野(エサ場),へと移ってきている.(門脇著「出雲の白鳥」より)







島根県安来工区の「中海ふれあい公園」予定地.遊休干拓地を公園にする計画が進んでいる.






参考文献等 

第16回 汽水域懇談会  「汽水湖に生息するカモの特徴と、物質循環に果たす役割について」 山階鳥類研究所 岡 奈理子

日本生態学会中四国地区会会報 No.53 1995 「 人工衛星を利用したコハクチョウの行動圏調査」 米子水鳥公園 神谷要

「出雲の白鳥」 門脇 益一           たたら書房

 

 

 

 

 

 

 

 


第8回 中海・本庄工区月例勉強会

中海の漁業−現在・過去・未来−

伊藤康宏(島根大学生物資源科学部助教授)

日時:11月29日金曜日 午後6時より
場所:総合理工学部1号館1階11講義室


 

前回は、旧農経教室有志の勉強会(第2回‘中海−本庄工区干拓事業’問題に関する勉強会)の報告、「『地域史』からみた中海の漁業」(96年7月25日掲載)をまとめた。今回は、現在、大きな争点になっている「水産振興のための調査」にかかわらせて、報告者が今秋以降、進めてきた調査(方法と結果の概要)と「水産統計調査」、それに過去、県等が実施した「実態調査」についての解説を中心に報告し、あわせて、中海の水産振興のための調査のあり方を紹介した。以下、簡単に報告内容を要約しておく。

 

 

1.中海の水産統計調査について

 中海漁業は、水産統計上では海面に分類され、「島根農林水産統計年報(水産業の部)」(中国四国農政局島根統計情報事務所)と「漁業センサス」(農林水産省統計情報部・島根県企画振興部統計課)で把握されている。前者は毎年、調査・公表され、1952年(昭和27)から今日まで「漁業種類別漁労体数・出漁日数・漁獲量」や「魚種別漁獲量」等が漁業地区別に集計されている。後者は5年毎に調査・公表される基本調査で、漁業の「国勢調査」版にあたり、漁業の生産構造や就業構造等の把握を目的に実施されている。

 両統計では中海海区として独立した形では集計されていないが、項目によっては漁業地区(安来、東出雲、松江、八束、森山)別に集計されているので、それを操作することによって中海海区・中海漁業あるいは漁業地区別に統計的に把握することができる。

 そのなかでもとくに現在、3年許可で長期間海面に敷設して漁獲する桝網(小型定置網)に関する統計は、その特性上、実態(経営体数と漁獲量の変遷)がある程度正確に把握されていると言える。ちなみに松江地区(本庄、大海崎、朝酌)の桝網統数・漁獲量・1統当漁獲量の推移は下記の表のとおりである。

松江漁業地区の桝網統数・漁獲量(トン)の推移

統数(A)

漁獲量(B)

1統当漁獲量

B/A

60年

89

311

3.5

65年

103

286

2.7

70年

63

157

2.5

75年

53

134

2.5

80年

59

126

2.1

85年

55

127

2.3

90年

44

157

3.6

94年

27

115

4.3

資料:「島根農林水産統計年報」より

 

 同表によると、桝網統数は、65年に103統とピ−クに達した後は、漁業権放棄と干拓工事の進捗と歩調を合わせ、減少の一途をたどり、94年では27統にまで減少した。漁獲量は統計が確認される60年の311トンがピ−クでそれ以降減少傾向をたどり、94年では115トンと60年の約1/3にまで減少した。これに対して1統当漁獲量は7、80年代に2トン台と最低水準であったが、漁獲量と統数両者の減少率がほぼ同じであったので、60年、90年代は3〜4トン台の水準であった。 

 つぎに、昨年10月下旬に山陰中央新報他で取り上げられ、物議を醸した「本庄工区水域漁獲デ−タ」についてである。これは、本庄工区内外で漁業を営む漁業者自らが許可漁業の更新時に申告した魚別の漁獲量と漁獲金額のデ−タと県松江水産事務所が93年11月にはえなわなどの自由漁業を営んでいる組合員に聞き取り調査した内容である。それによると、同工区内で操業する正組合員が242人(全体では473人)、工区内での漁獲量は144トン(中海全体では611トン)、工区内での漁獲金額は1.35億円(全体は6億円)とされ、現在でも同工区は中海漁業全体からみても大きな位置を占めている点が伺えれる。
 現時点では同資料は本庄工区を含めた中海漁業に関する数少ないデ−タ(数字)である点には違いないので、調査方法を含めて検討する余地は多いにあるといえよう。

 

 

2.中海の漁業実態調査報告・研究資料について

 中海の漁業実態調査報告は管見の限りでは、「島根県漁業基本調査」(島根県、1914年)、「大根島の実態」(島根県、1955年)、「中海・宍道湖漁業実態調査報告書」(島根県、1957年)、「(八束村)農林漁業振興計画基礎調査(資料編)」(八束村、1959年)の4件の関係自治体の調査報告と関西学院大学地理研究会による『大根島』(1981年、)の1件が確認されるのみである。このなかで「島根県漁業基本調査」と「中海・宍道湖漁業実態調査報告書」は中海漁業が盛んな時期を調査し、かつ中海全体を調査対象としている点で、往時の中海漁業・沿海村の実態が伺える貴重な資料である。なお、前者は県が漁業振興のために実施した基礎調査で、本庄村ほかの中海沿海の旧町村の漁業・沿海村の概況を調査したものである。一方、後者は中海干拓事業に向けての中海漁業・漁家を対象とした実態調査で、漁家では専業漁家全戸(80戸)、兼業漁家40戸(全体の5パ−セント無作為抽出)を調査している。また、「大根島の実態」「(八束村)農林漁業振興計画基礎調査(資料編)」は、八束村の地域振興計画策定のための実態調査で、『大根島』は地理学的に八束地区の島民の漁業生活他を対象とした調査研究である。

 

 

3.中海漁業のむかしといま

(旧農経教室有志の勉強会(第2回‘中海−本庄工区干拓事業’問題に関する勉強会)の報告、「『地域史』からみた中海の漁業」(96年7月25日掲載)から引用)

 本庄工区の干陸問題が大詰に差し掛かった現段階で中海の漁業振興や水域の利用に関する議論が争点の1つになっているが、議論の出発点になる中海の漁業の実態把握はどうかというと、寂しい限りである。

 「中海は、かつて宍道湖の2倍の漁獲高をあげていた」と言われる。アカガイを特産としていた当時の中海の漁業の実態はどのようになっているのであろうか。報告者はこのような問題関心から、『汽水湖研究』第4号(94年3月)に「宍道湖・中海地域漁業史研究の現状と課題」なる小論を発表した。第2回勉強会では、これをネタにして「『地域史』からみた中海の漁業」と言ったテ−マで報告した。なお、次回はこれを踏まえて、今夏以降に計画している現状の実態調査の結果を報告したい。

 ところで、肝心の報告の要点であるが、同上資料所収の文献などから「中海地域漁業史年表」なるものを作成し、中海漁業の移り変わり、その特徴をつぎのように要約した。

 1.近世は大根島周辺の藻葉出入、藻草取関係の史料が中心であることからも伺えるように肥料用の藻草のウエ−トが大きかった点。

 2.近代に入り、明治中期にアカガイ(藻貝)養殖技術が確立すると、中海漁業はアカガイ養殖を中心に展開していった点。

 3.その代表的な事例としてアカガイ漁場をめぐって島根鳥取両県の漁民の間で数次にわたって紛争が起った点。

 4.1922年(大正11)から始まる境港修築や大橋川浚渫工事が、従来とは異なる赤潮を発生させ、アカガイ養殖にとくに大きな被害をもたらし、養殖を困難にさせていった点。

 5.戦後の一時期、漁業の復活がみられるが、その頃(1951年<昭和26>)の中海漁業の漁獲高は、量で53.5万貫、金額で6,381万円で、これは宍道湖(当時はシジミのウエ−トがまだ高くはなかった)の4倍前後の漁獲高であった点。

 6.現在でもその名残りはあるが、古くは中海漁業に地域性が見られた点。例えば、1912年(大正1)ではウナギ・ハゼは揖屋(東出雲町)の延縄、シラウオは竹矢(松江市)の張切網、エビは本庄(松江市)の地曳網、アカガイは波入(八束町)の桁曳網、藻類は二子(八束町)の採草、養殖アカガイは養殖発祥地の意東(東出雲町)の各地で主に生産。

 今後の課題は、中海に関する情報を蓄積していくために史料の掘り起こし、古老からの聞取り記録化と、中海の「地域漁業史」の研究、それに中海漁業の実態把握のための現状の調査研究を進めることである。そして、これらの作業を通して中海の「漁業と地域社会」を展望できればと考えている。

 

 

4.本庄地区の漁業のむかしといま

本庄工区干陸問題の議論が大詰めにきた現段階にもかかわらず、これまで述べたように中海とりわけ本庄地区の漁業を対象にした実態調査研究はこれまでほとんど進められてこなかった。我々は、この点を意識して本庄地区の代表的な漁業者N氏とM氏(中海漁協正組合員、その内M氏は高齢のため3年ほど前に引退)から聞取り調査を進めてきた。聞取り調査の内容は、営んでいる漁業種類、操業場所、漁期、漁獲対象魚種、漁業の変遷等についてである。

 ここではN氏の事例を紹介しておくと、桝網(3統)を主たる漁業として、船曳網、刺網を季節・時間を見計らいながらこれらを組み合わせて操業している。桝網は、1953年(昭和28)頃に当時、最大の規模を誇っていた地引網と交代する形で普及していった。現在は本庄地区では15人・27統の桝網が海中に長期間敷設され、回遊してくる魚を漁獲する。

 網揚げ作業等は早朝3時間ほど要し、その後本庄港近くのM鮮魚店の選別所に漁獲物を出荷する。敷設場所は西部承水路岸よりで、漁期ならびに魚種は10月〜12月にハゼ、9月から11月にゴリ、9月〜11月にモロゲエビ、10、11月にメバル、5月〜10月にママカリ、11月にヒラメほか数多くの魚を漁獲する。船曳網は、桝網作業終了後、10月〜3月のオダエビ、9月〜11月のゴリを対象として承水路や工区内の岸よりから季節によっては工区中心部や大海崎、飯梨川河口付近を中心に午前中いっぱい網を曳く。また、刺網は11、12月のハゼを対象に夕方承水路堤の内外に網を仕掛け、翌朝網揚げを行う。

現時点では個人はもとより本庄地区全体の漁獲高や漁業生産等の数量的な把握が残念ながらできていない。この点については本庄地先の漁業生産能力を評価する基礎デ−タとなるので、デ−タの収集が今後の課題である。なお、歴史的には中海漁協旧本庄支所所蔵の資料が一部現存しているので、同資料の整理・分析によって、堤防設置以前の本庄海域の実態解明に接近できると思われる。この点は当面の課題としたい。

 

 

5.中海の水産振興のための調査をめぐって

96年5月に中海・宍道湖・森山の3漁協が共同で「中海・宍道湖の漁業振興に関する陳情書」を水産庁長官に提出し、漁業振興のための調査と本庄工区干陸事業の廃止を陳情した。本年8月に当時の与党3党間で森山堤防の試験的開削と宍道湖・中海の淡水化事業の最終的中止を前提条件に水産振興についての調査・検討等を行うことで合意が成立している。

現在、水産振興のための調査に関してこの2つの前提条件と調査対象に本庄工区を含むかどうかで大詰めの段階にさしかかっている(なお、前提条件のうちの森山堤防の試験的開削については97年3月28日に北部承水路にパイプを通して潮の往来を可能にして実証研究を実施することで与党3党で合意)。現場の漁業者や研究者の共通した認識は、美保湾−中海・本庄海域−宍道湖の3つの水域が水産資源面で相互に有機的に結びついている点である。先の3漁協の連携はこれが具体的に現れたものである。この点を踏まえるならば、すべての水域の漁業調査が実施されてはじめて、水産振興のための調査といえよう。

 

 

 
 
 
 
 
 



第9回 中海・本庄工区月例勉強会

斐伊川水系の昆虫類
 −特に大根島の洞窟にすむ昆虫について−

星川 和夫 (島根大学生物資源科学部助教授)
日時:1997年1月24日金曜日 午後6時より
場所:島根大学総合理工学部 11講義室




要旨:

 斐伊川中流域(木次周辺)の河川敷から中海の湖岸にかけて、1992−1993年に行われた昆虫相調査により1424種の昆虫類が確認されている。今回はその概要を簡単に紹介し、昆虫類からみた中海の生態系の特徴について、特に大根島の洞窟の昆虫についてお話した。




1.斐伊川水系の昆虫類の多様性

 中海を含む斐伊川中下流域からは、甲虫目 502種、チョウ目 394種をはじめ、18目1424種の昆虫が確認されている。これらのデータを基に Prestonのモデルを使って、この地域に生息する昆虫総種数を推定すると約3000種類(日本産既知種のおよそ10%)と計算され、斐伊川水系では、河川敷環境としては比較的良好な自然環境が維持されていると考えられる。
 調査地域を斐伊川中流域・下流域・宍道湖・中海と4地域に分けて、それぞれの場所の昆虫種類の類似性をクラスタリングによって評価した。斐伊川中・下流域間は水生昆虫でも陸生昆虫でも類似性が高かったが、宍道湖と中海とでは陸生昆虫ではあまり差がないものの、水生昆虫では中海の種数が宍道湖の半分以下と激減し、類似性も低かった。これは明らかに、中海湖水の塩分濃度の影響によるものである。
 昆虫類だけからみるならば、中海周辺の陸上生態系は「保全」の対象というよりは、むしろ「修復」の対象である。下流部はどの河川でも都市化しているので事情はどこでも似ている。ただし、貧弱な多様性とは言え特異な群集が成立している場所も散見されるので、河川敷環境修復事業にあたっては注意を払う必要がある。


図1.斐伊川水系における水棲昆虫(上)とその他の昆虫(下)の地区ごとの種類数(左)と地区間の昆虫層の類似性(右).クラスター分析で描かれた右側の木の枝のような図は,右端が幹で左端が枝先である.それぞれの地区の昆虫の種類や量が似ていれば枝先で分かれるが,全く違っているときには幹の元のから分かれた図になる.QSは昆虫の群集の類似性の高さを表す指数.UPGMAはこのような図を描くときの手法の一つ.木次は斐伊川中流域を,平田は下流域,宍道は宍道湖,中海は中海をそれぞれあらわす.




2.中海の水質と水生昆虫の関わり(ユスリカによる栄養塩類の除去)

 海水に耐えることのできる昆虫の種類は十指に満たない。中海程度に希釈されていても、そこで生活できる昆虫の「種類」は極めて少数である。しかしそれはそこで生活する昆虫の「個体数」が少ないことを意味するものではない。1980年代に中海の湖岸で灯火に集まる昆虫類を調査した結果をみると5月から9月にかけて1地点で約2万個体のユスリカ成虫が採集されている。次いで、ブユが7千個体程度。その他の昆虫は全部合わせても1千個体に満たなかった。この水域における昆虫優占群はユスリカ類である。
 私たちの研究室では最近ユスリカ成虫の窒素と燐の含有量を測定した。種類により性によって含有量は変化するが、その値は燐で 8-15 mg/gDW、窒素で 116-138 mg/gDW であった。 この値と前述の羽化量を用いて中海湖水からユスリカの羽化により除去される窒素・燐量を概算すると 603gN/year, 54gP/yearとなり、おおよそ魚30kgの水揚げに相当する量にしかならなかった(ただし上の値は過小評価するように推定パラメーターを仮定している)。しかし絶対量はともかく、ユスリカの生息するような有機汚染のすすんだ環境から毎年自動的にこれだけの栄養塩類が除去されているという側面を注目すべきであろう。




3.大根島竜渓洞のイワタメクラチビゴミムシ

 中海の中央部にある大根島は約25万年前の多孔質の玄武岩からなる。ここには2つの洞窟があり、ドウクツミミズハゼなど注目すべき動物の記録がある。私達は竜渓洞(第2溶岩随洞)から知られるイワタメクラチビゴミムシを求めて数回この洞窟を調査した。しかし、これまでに採集できたのは以下の4種にとどまっている(いずれも同定依頼中;結合類(コムカデ)の一種、ナガコムシ科の一種、トゲトビムシ科の一種、カマドウマ)。
 最後に、イワタメクラチビゴミムシ Daiconotrechus iwataiについて言及したい。この属(ダイコンメクラチビゴミムシ属)は、この洞窟に固有である、つまり世界中でこの洞窟にしか生息しない。いままでに4個体が採集されているだけであり、標本はすべて国立科学博物館に保管されている。この属は朝鮮半島南東部の洞窟に広く分布する チョウセンメクラチビゴミムシ属 Coreoblemis と南西日本洞窟に広く分布する ノコメメクラチビゴミムシ属 Stygiotrechus の両方に形態的に近縁であり、生物地理学的に極めて興味深い。常識的な解釈では「チョウセンとノコメが分化する前の共通祖先の形質の一部が、ダイコンとしてノコメの分布周辺部(北端)に遺存的に残った」ということであろう。その場合25万年前(リス氷期末期)にこの洞窟ができたという事実は、チョウセンとノコメの属の分化がかなり新しいこと(25万年前以降)を示し、この短い時間で属が分化できるかという新たな疑問をもたらす。別の証拠−−例えばDNA解析などを通じて分化年代の推定を行う必要があり、そのためにも新しい標本を採集しなければならない。私たちは今後もこの洞窟の調査を継続するつもりでいる。


 図2.イラタメクラチビゴミムシの原記載図.この論文は1970年に国立科学博物館の紀要に掲載された(Ueno, S. 1970 Bull. Nat. Sci. Mus. Tokyo 13: 610-615).このほかの採集例は以下のとおり.
 Mar. 30, 1970 Ueno 1♀ Holotype
 Oct. 8, 1970 Ueno 1♂
 Aug. 12, 1979 石田・西田 2exs.




付記: 今回の勉強会ではふれなかったが,斐伊川中流域から宍道湖西部にかけて,日本固有種で局地的にしか生息していないトンボの一種のナゴヤサナエが多産することが知られている.本種については,淀江・大浜らによる10年間にわたる羽化殻調査など,詳細な生態研究がなされている.











第10回 中海・本庄工区月例勉強会

中海本庄工区問題と水資源

秋葉 道宏 (島根大学生物資源科学部講師)

日時: 1997年4月18日(金)(金)
場所: 島根大学総合理工学部(理学部)1号館11講義室


(できあがりしだい掲載します)










第11回 中海・本庄工区月例勉強会

湖底の生物の化石から水質の変遷を知る

野村 律夫 (島根大学教育学部助教)

日時: 1997年5月16日(金)
場所: 島根大学総合理工学部(理学部)1号館11講義室


(できあがりしだい掲載します)










第12回 中海・本庄工区月例勉強会

−お料理講習会−

中海のすずき料理を食卓に

澤江典子・稲葉豊子 (松江友の会)

日時:1997年6月13日金曜日 午後5時より
場所:島根大学教育学部調理実習室




 スズキは中海で豊富にとれるおいしい魚で,毎日の食卓にお刺し身からお惣菜まで幅広いお料理に使えます.またハーブ類との相性も良さそうです. ここでは普通に家庭でつくることができるスズキ料理を中心に,伝統的なものもあわせて紹介します.

 洋風の「しぐれ焼き」や「レモンソースかけ」などは普段のおかずに,「木の芽みそ焼き」や「松鼠魚」,「レモンのはさみ焼き」は冷酒や白ワインとあうので夏のパーティーにも使えそうです.「奉書焼」は熱燗を片手にじっくり楽しむのが良いかもしれません.

 スズキは梅雨頃から秋までが旬で,成長するにしたがってセイゴからチュウハン,スズキへと呼び名が変わります.ここでは値段も庶民的で日常的に家庭で購入しやすいセイゴを主に使いました.また,いまたくさん取れているマーカレ(ママカリ)の背ごしも紹介します.

 日本でいちばん大きな汽水域の幸をお楽しみください.


  1. お刺身
  2. お刺身のサラダ
  3. 魚の酢じめ
  4. 奉書焼き
  5. レモンのはさみ焼き
  6. 木の芽みそ焼き
  7. 松鼠魚(すんしゅうゆい)
  8. しぐれ焼き
  9. 魚のレモンソースかけ
  10. あらを使ったうしお汁
  11. マーカレの背ごし
  12. 付録:鮮魚店・料理店のリスト
当日の写真を使った詳しいレシピはこちらです.




 
 


付録

汽水産魚介類を扱う鮮魚店・料理店のリスト

 
 全国ブランド化した宍道湖産のシジミはス−パ−でも買うことができますが、その他汽水産魚介類は魚屋さんでもなかなか見かけません。具体的には実態はどうなのかといった疑問から、先日、我々は松江市内の52店舗の鮮魚店に直接、電話インタビュ−を行ない、汽水産魚介類の取り扱い状況を調べました。その結果、汽水産魚介類を全般的に扱っている店11店舗、シジミの他数品目を扱っている店4店舗、シジミのみを扱っている店9店舗、その他28でした。
 以下は、汽水産魚介類を全般的に品揃えしている鮮魚店のリストと調査時の品揃え品目を掲載しております。なお、輸入水産物と異なり、季節、漁の状況によって品物は変わることをご承知置き下さい。併せて、中海・宍道湖産の魚介類が食べれる料理店についても掲載しておりますが、限られた情報収集能力のため調査漏れの店も当然あるかと思います。その点はご容赦ください。最後に電話調査に際しまして関係者の皆様にご協力いただきましたこと、お礼申し上げます。

 
伊藤康宏
島根大学生物資源科学部漁村経済論研究室
TEL/FAX0852-32-6535
itoyasu@life.shimane-u.ac.jp

 
 


鮮魚店リスト

(あいうえお順、1997年6月16日現在の品揃え、市外局番0852)

 
 
 
石川屋(石橋町3、21−6394)
シジミ、オダエビ

 
魚清(伊勢宮町535、21−4914)
エノハ、テナガエビ、モロゲエビ、チュ−ハン、アオテガニ(これから)、ウナギ(日による)

 
魚富(灘町45−2、21−3313)
シジミ、スズキ、モロゲエビ、テナガエビ、オダエビ

 
金津鮮魚店(寺町99−55、21−0713)
スズキ、テナガエビ、シジミ、クルマエビ、モロゲエビ、シラウオ(冷凍でも)

 
島谷魚店(灘町219、21−4634
オダエビ、テナガエビ、チュ−ハン、コマゴズ、ウナギ、(コノシロ)

 
田中屋鮮魚店(西茶町25、25−4770)
シジミ、スズキ(チュ−ハン)、テナガエビ

 
坪倉鮮魚店(本庄町77、34−0528)
セイゴ、ママカレ、テナガエビ、モロゲエビ、車エビ、ウナギ

 
福水(東本町1−51、21−5500)
スズキ、テナガエビ、シジミ、モロゲエビ、ウナギ(たまに)、オダエビ(たまに)

 
福間鮮魚店(末次町27−1、22−7913)
テナガエビ、ウナギ、シジミ

 
三代鮮魚店(本庄町55、34−0506)
ママカリ、オダエビ、セイゴ、スズキ、ゴリ、ソイ、クルマエビ、コノシロ







料理店リスト

(あいうえお順、1997年6月16日現在の旬のおすすめ料理)

 
 
かねやす食堂(松江市御手船場、0852−21−0550)
オダエビの佃煮、クルマエビの塩焼き、モロゲエビの天ぷら・唐揚げ

 
だいこく(松江市片原町110、0852−27−7233)
ウナギの蒲焼き、テエナガエビ

 
川京郷土料理(松江市末次本町65、0852−22−1312)
ウナギのタタキ、スズキの奉書焼き

 
てれすこ郷土料理(松江市伊勢宮町528、0852−24−2288)
スズキの洗い、モロゲエビの塩焼き

 
大西寿司(八束郡八束町入江271、0852−76−2371)
中海の旬の物(今はアオテガニ、モロゲエビ、スズキ、アカニシ)寿司ネタに

 
おなじみ屋(米子市東倉吉町123−2、0859−22−9575)
和食おまかせ料理、とくにウナギは本庄産使用、要予約

 
 
 
 
 




第13回 中海・本庄工区月例勉強会



汽水域の特性を考慮した水質浄化法とは

相崎守弘(島根大学生物資源科学部)

日時:1997年7月11日金曜日 午後6時より
場所:島根大学総合理工学部11教室


 
 
 
中海・宍道湖の水質の現状

 島根県のデータによれば、中海・宍道湖の水質は横這いから少し悪化しているように判断される。一方、中海・宍道湖への流入負荷量は明らかに減少している。
 すなわち、流入負荷量と湖の水質は1:1の関係では対応していない。このような現象は、中海・宍道湖に限らず霞ヶ浦や他の湖沼でも見られる。
 霞ヶ浦では、湖内の生態系の変化が湖の水質に大きな影響を与えている事が明らかになっている。

 
 
 
 
宍道湖での生態系の主役はヤマトシジミ

 宍道湖湖岸域には多量のヤマトシジミが生息している。夏期におけるヤマトシジミの現存量は329億個、約3万トンと推測されている(Nakamura et.al,1988)。また漁獲量は約9,000トンあり、宍道湖の全漁獲の94%を占めている。宍道湖のシジミの売上高は約30億円と推計されており、最も重要な水産資源の1つとなっている。
 ヤマトシジミは、ろ過摂食により植物プランクトンを湖水から直接餌として取り込んでいる。したがって、植物プランクトン等の懸濁物を系外に取り除く重要な作用を担っている。宍道湖の湖水容量は約3.4x10^8 m^3であり、夏期のシジミのろ過速度を1個体当たり毎時0.2リットルとすると、約2日間で宍道湖の湖水はシジミを通過していることになる。実際には分布が偏っていることから2日間で全量をろ過しているとは考えられないが、その影響力の大きさは容易に想像される。

 
 
 
 
水質浄化手法としてのヤマトシジミの利用

 松江城のお堀である堀川は1996年から、水質浄化のため宍道湖の水を導水し、汽水環境になっている。そのため、アオコのような淡水性の植物プランクトンの発生による水質悪化は見られなくなったが、流れの弱いところでは汽水性の植物プランクトンの多量発生が見られる。また宍道湖からの導水は汚水を押し流しているだけで、水質浄化にはつながらず、堀川への負荷を大橋川に移動させているにすぎない。
 私たちは、堀川の浄化にヤマトシジミの浄化能力を活用する事を目的に実験を行った。その結果、ヤマトシジミは本来の生息環境である砂がある場合とない場合で挙動が大きく異なることがわかった。砂がある場合は10℃〜20℃の間では活性の変化は少なく、ろ過速度として1個体、1時間当たり、0.2リットルという値が得られた。5℃ではほとんど活性が見られなくなり、25℃では20℃の約2倍のろ過速度は測定された。砂がない条件では20℃以上では砂がある場合とあまり活性に変化が見られなかったが、15℃以下では活性が著しく低下した。
 夏の期間だけシジミを使って浄化する目的であれば、シジミをかごに入れて堀川に入れておくだけで、堀川の水を浄化できる可能性が示された。また、シジミを漁獲しながら湖水も浄化するためには、休耕田等を利用した浄化施設を作ることが現実的である事もわかった。
 堀川の水、もしくは大橋川の水を汲み上げて、ヤマトシジミによる水質浄化を行い、またそのスペースを市民に開放し、宍道湖のシンボルであるシジミの価値をアッピールするとともに、環境教育や市民の憩いの場所となるようなシジミ公園の建設を提案したい。

Chl-a: 葉緑素の一種でこれが多いと植物プランクトンも多い.  μg/l: 1リットルの水に含まれる量を百万分の1グラム単位であらわす.  Time(min.): 時間の経過を分単位であらわしている.  コントロール: シジミも砂も入っていない水だけのもの.

 
 
 
 
流れが2枚貝の増殖には必要

 シジミやアサリ、赤貝などの2枚貝は植物プランクトンを直接餌とする1次消費者である。湖での1次消費者の代表は動物プランクトンが知られている。動物プランクトンは浮遊しながら生産者である植物プランクトンのすぐ側で生活しているところから、動かずに餌がくるのを待っている2枚貝より有利である。しかし、流れがある状況では餌の方が移動してきてくれることから2枚貝の方が有利となる。すなわち、2枚貝の増殖にとっては流れが重要である。

 
 
 
 
本庄工区の漁業振興のための調査

 本庄工区の北部承水路の一部を開削してパイプ方式によって潮通しをつくり、漁業振興の可能性を探る調査が農林水産省によって計画されている。潮通しの建設費用は5,000万円ということなので、その大きさは狭いものにならざるを得ない。このような条件で潮通しを作った場合に予想される流れはどのようになるであろうか?
 現状の本庄工区では、西部承水路を通して中海の上層水が干満に応じて交換しており、調査の折りなどに体験できるその流れはかなり強い。現在、西部承水路ではアサリがかなり繁殖しており、アサリ取りの船をよく見かける。しかしながら漁獲量に関しては不明である。
 北部承水路に潮通しを作った後でも、その面積が限られているところから本庄工区全域で見た場合には流況に大きな変化が生じるとは考えられない。日本海の海水は密度流となって中浦水門を通って中海底層に進入している。したがって、上げ潮時には潮通しを通過して本庄工区へ流入する水量は限られたものになると予測される。下げ潮時には中海や本庄工区の上層水が境水道の方へ流出するところから、潮通しを通過する流量も多くなるものと予想される。しかし、その面積が狭いところから本庄工区全体に及ぼす影響は少ないものと考えられる。
 このような状況で、漁業振興の調査を行う場合、もしその調査結果が本庄工区全域で評価されるとしたら、恐らくほとんど影響が見られなくなってしまう可能性が強い。
 流れの影響を調べるという意味での潮通しの建設であるのだから、調査は干満による流れが生じる範囲を特定して、その範囲内で精密な調査を行い、今後さらに流況を変化させる事による漁業振興に対しての基礎的な知見を得ることを目的とすべきである。
 
 
 
 
中海及び本庄工区での2枚貝を活用した水質浄化

 中海では多くの入り江が干拓され、2枚貝の生息に適した湖岸域が非常に少なくなっている。また、底層には比重の重い海水が停滞するため、酸素が供給されずに貧酸素水塊となっており、生物が生存できない。本庄工区でも、大根島周辺を除き、2枚貝の生息に適した湖岸域は少ない。このような水域で、2枚貝を活用して水質浄化と水産増殖を図る方法としては、筏方式による養殖が考えられる。筏方式の場合でも流れの存在が重要である。干満による流れを期待できないところでは、人工湧昇流システムを設置し、人工的に垂直混合流を引き起こすことによって、水質浄化と水産増殖が可能となる。人工湧昇流システムでは底層の貧酸素水を制御しながら表面に供給できるため、底にたまった栄養塩の有効利用が可能になるほか、強風時に底層水が多量に湧昇する事によって引き起こされる青潮の被害の防止や、赤潮の発生防止が期待できる。

O2: 酸素(植物プランクトンが光合成をすると発生し,死んで水底に沈んで分解するときには消費される).  N: チッソ(植物プランクトンの栄養になる).  P: リン(植物プランクトンの栄養になる).  WL: 水面.

 
 
 
 
 
 


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