第8回 中海・本庄工区月例勉強会

 

中海の漁業−現在・過去・未来−

伊藤康宏(島根大学生物資源科学部助教授)

日時:11月29日金曜日 午後6時より
場所:総合理工学部1号館1階11講義室

 

前回は、旧農経教室有志の勉強会(第2回‘中海−本庄工区干拓事業’問題に関する勉強会)の報告、「『地域史』からみた中海の漁業」(96年7月25日掲載)をまとめた。今回は、現在、大きな争点になっている「水産振興のための調査」にかかわらせて、報告者が今秋以降、進めてきた調査(方法と結果の概要)と「水産統計調査」、それに過去、県等が実施した「実態調査」についての解説を中心に報告し、あわせて、中海の水産振興のための調査のあり方を紹介した。以下、簡単に報告内容を要約しておく。

 

1.中海の水産統計調査について

 中海漁業は、水産統計上では海面に分類され、「島根農林水産統計年報(水産業の部)」(中国四国農政局島根統計情報事務所)と「漁業センサス」(農林水産省統計情報部・島根県企画振興部統計課)で把握されている。前者は毎年、調査・公表され、1952年(昭和27)から今日まで「漁業種類別漁労体数・出漁日数・漁獲量」や「魚種別漁獲量」等が漁業地区別に集計されている。後者は5年毎に調査・公表される基本調査で、漁業の「国勢調査」版にあたり、漁業の生産構造や就業構造等の把握を目的に実施されている。

 両統計では中海海区として独立した形では集計されていないが、項目によっては漁業地区(安来、東出雲、松江、八束、森山)別に集計されているので、それを操作することによって中海海区・中海漁業あるいは漁業地区別に統計的に把握することができる。

 そのなかでもとくに現在、3年許可で長期間海面に敷設して漁獲する桝網(小型定置網)に関する統計は、その特性上、実態(経営体数と漁獲量の変遷)がある程度正確に把握されていると言える。ちなみに松江地区(本庄、大海崎、朝酌)の桝網統数・漁獲量・1統当漁獲量の推移は下記の表のとおりである。

松江漁業地区の桝網統数・漁獲量(トン)の推移

統数(A)

漁獲量(B)

1統当漁獲量

B/A

60年

89

311

3.5

65年

103

286

2.7

70年

63

157

2.5

75年

53

134

2.5

80年

59

126

2.1

85年

55

127

2.3

90年

44

157

3.6

94年

27

115

4.3

資料:「島根農林水産統計年報」より

 

 同表によると、桝網統数は、65年に103統とピ−クに達した後は、漁業権放棄と干拓工事の進捗と歩調を合わせ、減少の一途をたどり、94年では27統にまで減少した。漁獲量は統計が確認される60年の311トンがピ−クでそれ以降減少傾向をたどり、94年では115トンと60年の約1/3にまで減少した。これに対して1統当漁獲量は7、80年代に2トン台と最低水準であったが、漁獲量と統数両者の減少率がほぼ同じであったので、60年、90年代は3〜4トン台の水準であった。 

 つぎに、昨年10月下旬に山陰中央新報他で取り上げられ、物議を醸した「本庄工区水域漁獲デ−タ」についてである。これは、本庄工区内外で漁業を営む漁業者自らが許可漁業の更新時に申告した魚別の漁獲量と漁獲金額のデ−タと県松江水産事務所が93年11月にはえなわなどの自由漁業を営んでいる組合員に聞き取り調査した内容である。それによると、同工区内で操業する正組合員が242人(全体では473人)、工区内での漁獲量は144トン(中海全体では611トン)、工区内での漁獲金額は1.35億円(全体は6億円)とされ、現在でも同工区は中海漁業全体からみても大きな位置を占めている点が伺えれる。
 現時点では同資料は本庄工区を含めた中海漁業に関する数少ないデ−タ(数字)である点には違いないので、調査方法を含めて検討する余地は多いにあるといえよう。

 

 

 

2.中海の漁業実態調査報告・研究資料について

 中海の漁業実態調査報告は管見の限りでは、「島根県漁業基本調査」(島根県、1914年)、「大根島の実態」(島根県、1955年)、「中海・宍道湖漁業実態調査報告書」(島根県、1957年)、「(八束村)農林漁業振興計画基礎調査(資料編)」(八束村、1959年)の4件の関係自治体の調査報告と関西学院大学地理研究会による『大根島』(1981年、)の1件が確認されるのみである。このなかで「島根県漁業基本調査」と「中海・宍道湖漁業実態調査報告書」は中海漁業が盛んな時期を調査し、かつ中海全体を調査対象としている点で、往時の中海漁業・沿海村の実態が伺える貴重な資料である。なお、前者は県が漁業振興のために実施した基礎調査で、本庄村ほかの中海沿海の旧町村の漁業・沿海村の概況を調査したものである。一方、後者は中海干拓事業に向けての中海漁業・漁家を対象とした実態調査で、漁家では専業漁家全戸(80戸)、兼業漁家40戸(全体の5パ−セント無作為抽出)を調査している。また、「大根島の実態」「(八束村)農林漁業振興計画基礎調査(資料編)」は、八束村の地域振興計画策定のための実態調査で、『大根島』は地理学的に八束地区の島民の漁業生活他を対象とした調査研究である。

 

3.中海漁業のむかしといま

(旧農経教室有志の勉強会(第2回‘中海−本庄工区干拓事業’問題に関する勉強会)の報告、「『地域史』からみた中海の漁業」(96年7月25日掲載)から引用)

 本庄工区の干陸問題が大詰に差し掛かった現段階で中海の漁業振興や水域の利用に関する議論が争点の1つになっているが、議論の出発点になる中海の漁業の実態把握はどうかというと、寂しい限りである。

 「中海は、かつて宍道湖の2倍の漁獲高をあげていた」と言われる。アカガイを特産としていた当時の中海の漁業の実態はどのようになっているのであろうか。報告者はこのような問題関心から、『汽水湖研究』第4号(94年3月)に「宍道湖・中海地域漁業史研究の現状と課題」なる小論を発表した。第2回勉強会では、これをネタにして「『地域史』からみた中海の漁業」と言ったテ−マで報告した。なお、次回はこれを踏まえて、今夏以降に計画している現状の実態調査の結果を報告したい。

 ところで、肝心の報告の要点であるが、同上資料所収の文献などから「中海地域漁業史年表」なるものを作成し、中海漁業の移り変わり、その特徴をつぎのように要約した。

 1.近世は大根島周辺の藻葉出入、藻草取関係の史料が中心であることからも伺えるように肥料用の藻草のウエ−トが大きかった点。

 2.近代に入り、明治中期にアカガイ(藻貝)養殖技術が確立すると、中海漁業はアカガイ養殖を中心に展開していった点。

 3.その代表的な事例としてアカガイ漁場をめぐって島根鳥取両県の漁民の間で数次にわたって紛争が起った点。

 4.1922年(大正11)から始まる境港修築や大橋川浚渫工事が、従来とは異なる赤潮を発生させ、アカガイ養殖にとくに大きな被害をもたらし、養殖を困難にさせていった点。

 5.戦後の一時期、漁業の復活がみられるが、その頃(1951年<昭和26>)の中海漁業の漁獲高は、量で53.5万貫、金額で6,381万円で、これは宍道湖(当時はシジミのウエ−トがまだ高くはなかった)の4倍前後の漁獲高であった点。

 6.現在でもその名残りはあるが、古くは中海漁業に地域性が見られた点。例えば、1912年(大正1)ではウナギ・ハゼは揖屋(東出雲町)の延縄、シラウオは竹矢(松江市)の張切網、エビは本庄(松江市)の地曳網、アカガイは波入(八束町)の桁曳網、藻類は二子(八束町)の採草、養殖アカガイは養殖発祥地の意東(東出雲町)の各地で主に生産。

 今後の課題は、中海に関する情報を蓄積していくために史料の掘り起こし、古老からの聞取り記録化と、中海の「地域漁業史」の研究、それに中海漁業の実態把握のための現状の調査研究を進めることである。そして、これらの作業を通して中海の「漁業と地域社会」を展望できればと考えている。

 

 

 

4.本庄地区の漁業のむかしといま

本庄工区干陸問題の議論が大詰めにきた現段階にもかかわらず、これまで述べたように中海とりわけ本庄地区の漁業を対象にした実態調査研究はこれまでほとんど進められてこなかった。我々は、この点を意識して本庄地区の代表的な漁業者N氏とM氏(中海漁協正組合員、その内M氏は高齢のため3年ほど前に引退)から聞取り調査を進めてきた。聞取り調査の内容は、営んでいる漁業種類、操業場所、漁期、漁獲対象魚種、漁業の変遷等についてである。

 ここではN氏の事例を紹介しておくと、桝網(3統)を主たる漁業として、船曳網、刺網を季節・時間を見計らいながらこれらを組み合わせて操業している。桝網は、1953年(昭和28)頃に当時、最大の規模を誇っていた地引網と交代する形で普及していった。現在は本庄地区では15人・27統の桝網が海中に長期間敷設され、回遊してくる魚を漁獲する。

 網揚げ作業等は早朝3時間ほど要し、その後本庄港近くのM鮮魚店の選別所に漁獲物を出荷する。敷設場所は西部承水路岸よりで、漁期ならびに魚種は10月〜12月にハゼ、9月から11月にゴリ、9月〜11月にモロゲエビ、10、11月にメバル、5月〜10月にママカリ、11月にヒラメほか数多くの魚を漁獲する。船曳網は、桝網作業終了後、10月〜3月のオダエビ、9月〜11月のゴリを対象として承水路や工区内の岸よりから季節によっては工区中心部や大海崎、飯梨川河口付近を中心に午前中いっぱい網を曳く。また、刺網は11、12月のハゼを対象に夕方承水路堤の内外に網を仕掛け、翌朝網揚げを行う。

現時点では個人はもとより本庄地区全体の漁獲高や漁業生産等の数量的な把握が残念ながらできていない。この点については本庄地先の漁業生産能力を評価する基礎デ−タとなるので、デ−タの収集が今後の課題である。なお、歴史的には中海漁協旧本庄支所所蔵の資料が一部現存しているので、同資料の整理・分析によって、堤防設置以前の本庄海域の実態解明に接近できると思われる。この点は当面の課題としたい。

 

 

 

5.中海の水産振興のための調査をめぐって

96年5月に中海・宍道湖・森山の3漁協が共同で「中海・宍道湖の漁業振興に関する陳情書」を水産庁長官に提出し、漁業振興のための調査と本庄工区干陸事業の廃止を陳情した。本年8月に当時の与党3党間で森山堤防の試験的開削と宍道湖・中海の淡水化事業の最終的中止を前提条件に水産振興についての調査・検討等を行うことで合意が成立している。

現在、水産振興のための調査に関してこの2つの前提条件と調査対象に本庄工区を含むかどうかで大詰めの段階にさしかかっている(なお、前提条件のうちの森山堤防の試験的開削については97年3月28日に北部承水路にパイプを通して潮の往来を可能にして実証研究を実施することで与党3党で合意)。現場の漁業者や研究者の共通した認識は、美保湾−中海・本庄海域−宍道湖の3つの水域が水産資源面で相互に有機的に結びついている点である。先の3漁協の連携はこれが具体的に現れたものである。この点を踏まえるならば、すべての水域の漁業調査が実施されてはじめて、水産振興のための調査といえよう。