外来生物の分布拡大予測

−メタ個体群モデルを用いた侵入初期の分布拡大予測−

小池文人(横浜国立大学)

 

日本生態学会(新潟)20063月,自由集会「動物の分布拡大プロセスを予測する」

当日使用した図はこちら(PDF)

学術論文はこちら(PDF

 

外来生物と初期の情報不足

外来生物が野生化し分布拡大を始めたばかりの時期には十分な情報が得られないことが多い.最も早く得られる情報は広い地域(たとえば神奈川県など)での野生状態の個体の発見情報や繁殖の情報である.次の段階ではエサやハビタットなどの資源の要求性に関する研究が行われることが多い. また目撃・捕獲情報をもとにメッシュ地図などの,より精度の高い分布域の調査も行われる.さらに研究が進むと,個体群の増加率などに関する情報が得られることが多い.個体群パラメータはしばしば高い密度の地域で測定されるが,密度効果がはたらいているため捕獲で密度が低くなると増加率が高くなる現象はしばしば報告されるし,逆に分布拡大のフロント近くではアリー効果が検出されることもある.個体群密度の空間分布は求めることが難しい情報である.昔から良く研究されている屋久島のサルやシカでも個体群密度の全島的な分布地図は存在しない.

 

空間明示モデルが必要なふたつの場面

外来生物では分布域の拡大予測が必要である.この結果から将来の状況を予測し,根絶事業を行うべきかどうか,などの政治的な意志決定が行われる.この目的のためには,情報が不足している早い段階で予測モデルを作る必要がある.この段階では個体群密度の空間分布や個体群パラメータは得られていないことが多いが,2時点の分布マップがあればメタ個体群モデルを使って空間明示的な予測ができる.メタ個体群モデルは個体群密度を明示的には扱わず,ハビタットのパッチでの生物の在・不在と,パッチ間の移住確率を基本的な情報とする.外来生物の分布地図は在・不在の情報を記録したものであり,メタ個体群モデルの状態記述法そのものである.またふたつの時点の分布地図があればパッチ間の移住確率を求めることができる.このように侵入初期の分布予報とメタ個体群モデルは親和性が大変高い.

なお分布予報は情報不足の状況でモデル化されるため,新しい情報(新規放逐などによる新しい分布地の発見,環境要求性の情報の追加,など)が得られた段階で,随時予測を改良してゆく必要がある.新たな気象観測結果をもとに将来の天気を予測する作業を繰り返す天気予報によく似ている.

他方で,駆除による個体数減少での被害軽減策や根絶事業などでは,密度変化に対する個体群パラメータの変化を明示的に組み込んだ予測モデルが必要となる.このためにはハビタットのパッチごとに個体群動態のシミュレーションを行い,これにパッチ間の移動を組み込んでパッチを連結したモデル化がなされることもある(アライグマならBroadfoot et al. 2001など).すでに分布拡大が止まっている場合には,ソース個体群とシンク個体群を同定できればソース個体群を集中的に捕獲することで地域全体の根絶が可能になることもある.このばあい,個体群増加率の空間分布が得られていなくても密度の高い地域で捕獲を行うという単純なルールでも実現可能で,イギリスでのヌートリア根絶事業はこの手法で行われて成功した(Bakerほか). ただし「密度の高い地域で集中的に捕獲を行う」という表面的なルールを分布拡大中の個体群に単純に当てはめてしまうと最悪の事業となる.

 

神奈川県のアライグマの例

 ここでは神奈川県におけるアライグマの分布拡大予測の例を発表する.神奈川県内のアライグマは1988年ころ鎌倉市で野生化したと考えられている(中村 1991).トウモロコシなどに被害を与えているが,自然の分布域の北アメリカでは狂犬病を運んだり,都市近郊など大型捕食者がいない地域で最大の捕食者として高い個体群密度をもち鳥類の卵などを捕食するmesopredator releaseの中心的な種としても警戒されている.

2001年の神奈川県の調査によるメッシュ分布図(1999年〜2001年までのデータ)と2004年のかながわ野生生物サポートネットワーク(NGO) によるメッシュ分布図(2002年〜2004年までのデータ)の2枚の分布図から移住カーネルを推定した.

ハビタット要求性については,2004年の分布図と1kmメッシュ植生データ(環境省)の対応を見ると少なくとも多少の森林を含むメッシュにアライグマが存在する確率が高かった.そのため,再生産をともなう移住は森林を含むメッシュ間で行われ,森林を含まない住宅街などは一時的に利用するが再生産は行われない,と仮定した.神奈川県では民家の屋根裏での出産が有名なため都市の動物ととらえるひともいるが,そのような場所は駆除されるため,個体群の拡大に寄与するほどの出産は市街地では行われないと考えた.原産国の情報でも森林を好むようだが,特に森林と住宅街や畑などが混在する景観で密度が高いとの報告もある.

 これらの情報をもとにシミュレーションを行った.信頼性を調べるために鎌倉から分布拡大した歴史を再現するシミュレーションを行ったところ,1986年に分布拡大を始めたと仮定した場合に現状の分布パターンとの類似度が最大になり,モデルはそれほど外れていなかった.この予測では2060年ころには長野県諏訪湖に達することになるが,神奈川県外にも野生化個体群は存在するため,さらに早く全国に分布拡大すると予想される.

この分布拡大予測をもとに,県内の5個の地域個体群に対して,どのような組み合わせで根絶することが望ましいのか最適戦略を求めた.この評価では(根絶のあとt年後の効果)/(根絶作業のコスト)の比を最適化している.その結果,近い将来(time horizon)を考えると周辺の孤立した個体群の除去が最もコストパフォーマンスが良く,中間的な将来を考えると分布域の周辺の個体群(津久井町〜真鶴町)を全て除去することが最適である.また遠い将来を考えると全ての個体群を除去するのが最もコストパフォーマンスの良い戦略となる.ちなみに現在最も被害の大きな中心の個体群(三浦半島)のみの除去はコストパフォーマンスが最も悪い戦略である.

 分布拡大を阻止するための駆除事業は,現在の狭い面積の除去が将来のより広い地域のアライグマを減少させるため,投資と見なせる.投資の利回りを計算してみると,長期国債の利回りよりも高かった.このことは債券を発行しての根絶事業が経済的には十分に有利であることを示す.逆に事業を行わなかった場合は,年利30%などの非常に高額な負債を負っていることに相当する.大きな地域個体群を取り除くことは困難な事業であるが,孤立して存在する小さな野生化個体群を取り除くと,分布拡大速度を効果的に下げることができる.たとえ将来の分布拡大を阻止できなくても,経済的なメリットは十分にある.